地球って本当に丸いんだと実感する。宇宙まで行かなくても、高度1万メートルでこれは凄い。
これは目の錯覚なのか・・・
夜の羽田空港へのアプローチ。ランディングギアが光り輝く。
この宝石色の眺めも圧巻だ。
いずれも先週のエアバス機外カメラより。お勧めです。
仕事に戻ってみて
4か月が経った。
変わったこと
欠伸が止まらないのだ。しかもとても深い欠伸が・・
掛かり付け医に聞いてみる。
「欠伸は脳に足りていない酸素を強制的に送り出すためのものです。だから心配不要です。気になるならキャンディーなどを使って少し脳に糖を与えてやれば症状は良くなるかもしれません。」
想像していた答えだ。結局現役時代と同じパフォーマンスを求めようとすると、従来以上に脳をサポートしてやらないといけないってことだ。
変わらないこと
忘れ物、落とし物・・・
「仕事続けていないと、ボケるよ」とはよく聞く話だが、現役復帰してからもスマホ、財布と失くしている。結局二つとも出てきたが、財布などは各種カードの失効手続き等大騒ぎした後で、何度も探したはずのダウン内ポケットから出て来た。
先月は大学OB新年会で渋谷に行ったら誰も来ていない。一週間間違えていたのだ・・
ボクに限っては「仕事への復帰が脳をブラシュアップする」ことにはなっていないのが現状だ。残念ながら・・
仕事は続くよ形を変えて
3か月契約が延長でもう1か月、さらに2月より2か月の延長となった。
3月末合弁契約締結までの作業を継続することになったのだ。
これからは週2回の定例会議、後はいくつかのワークショップに参加するくらいだろうから、多分20時間/月くらいの軽めのワークロードになるだろう。しゃべっているだけでいいなら楽だ。
毎日メールチェックとかは面倒だが、今はどこからでも仕事は可能だ。
ここに出てくるボクの愛読書は、働くことで給料を貰っているサラリーマンが如何に手を抜くかというハウツー本だ。
基本的に ”けしからん手ほどき” なのだが(笑)、このような術を身につけないと、今時の外資系サラリーマンなど仕事の奴隷になってしまうというのは同意だ。
逆に一旦会社を辞めて定年生活を謳歌しつつ、若干退屈な気持ちを埋め合わせる為にストレスにならない程度の仕事をするというというのは、これはよく見るパターンだ。
ただこれは度々 “セミリタイア” という言葉で語られる「会社は辞めてはみたけどまだお金の心配が・・」という人が、時給千円ちょっとの軽いバイトをするケースがほとんどだと思う。
ボクの場合はこれではだめだ。今はもうはっきりしている。
時給千円ちょっとの仕事だと承認欲求が満たされないからだ。
つまり定年後に生産活動を行うことが、経済的理由ではなくてボクの様に承認欲求を満たす為だとすれば、①ボランティア活動で人々から感謝されるか、②それなりの高給を条件に、乞われて少しの時間仕事を引き受けるかのどちらかなのだ。
今までは①しかやってこなかった。目指していた日本語教師職だって安いコストで雇われて自己満足感を得られることなどないと薄々感じていたのだ。
だからと言って②などは思いもつかなかった。
それはそうだ。会社を辞めて3年余りの専門性も無い無職中年が、高給職に、しかもバイト感覚で有り付ける訳が無いと考えるのが普通だ。ボクもそこまで厚かましくない。
だからこそ先週沖縄でまったり最中に突然、「あれ?これは美味しい生活かも!」となったのだ。
まさに定年生活をベースに、会社から頼まれて少ない時間を割いて高給職の仕事を引き受ける訳だからだ。
月に20時間と言えば、2日半若しくは毎日1時間の仕事量だ。
1日1時間なら流石にボクの集中力でも維持出来そうだ。
それで承認欲求を満たせた上で月に十数万円というお小遣いが手に入るのなら、これはもう全く悪くない定年生活だと思う。
さらには前述の通り、ノマドワーカーを演じることさえ出来る。
コロナ後も会社は基本在宅勤務だし、まして会議は欧州と繋げてのビデオ会議が通常だから却って会社で会議に参加する方が不便なのだ。
多くの定年退職者達が経験しないことを、今経験しているんだと思う。
これも自己満足でやっていること。
せいぜい後2か月間、このノマドワーカーごっごを楽しみたい。
それではShanti Shanti! 素晴らしい1日を!