残された時間の決め方

家を出たのが午後2時。この季節、まだ日の入りは5時前と早い。

電車の乗り継ぎが上手くいって3時丁度に北鎌倉駅着。

浄智寺脇の竹林を通って大仏ハイキングルートに入る。

通常1時間弱のコースだけど、小走りなら45分くらいで抜けられる。

ゆるい登りは一気にトレイルランで。

ここからの下りは慎重に。

地元の外人たちだろうか。流ちょうな日本語で「お先に~」

あっという間に抜き去られる(笑)。

 

長谷寺の街をちょっとぶらついてから 海へ。

久々の解放感。思い切って出て来て良かった。

この景色を見てそう思った。

 

 

昨年末からお袋が水分を摂るのも難しくなってきた。

お袋の強い希望で自宅一人暮らしを継続しているが、本来介護認定5は一人にしてはいけないレベルなのだそうだ。

胃ろうなどの栄養補給による延命措置も拒否しているので、皮下注射で水分のみを摂取することに。

”心構え”という名のパンフレットを訪問医から渡された。

「水分補給だけでどのくらい命は繋がるのですか?」

「長い方で一か月くらいでしょうか。」

 

年が明けてから少しだけ状況が改善された。

何故かボクからだけは水差しで栄養飲料を少し飲んでくれるようになったのだ。

毎日、姉と区から派遣されるヘルパーさんや看護師さんの献身的な介護で比較的に穏やかな時間を過ごしているお袋だけど、ボクが栄養を供給出来なくなる日が来るのが恐怖だ。

 

僕自身の死については今までも考えてきた。

健康寿命の延伸努力は惜しまない。たくさんの思い出を作っていきたいのだ。

そしてもう自分の意志で動けなくなったその時に、積み上げた思い出資産と共にまだ生き続けたいか自分で判断する。

答えがNOなら食事介護を拒否する。そして最終的に水分も受け付けられなくなったらそれが最高の人生の終わり方だと思っている。

だからお袋が今選択している生き方にはとても共感出来る。91歳は決して早過ぎる不幸な死ではないだろう。

じゃあ何故ボクが恐怖を感じるかと言うと、僕自身がお袋と過ごせる時間がもうかなり限られているというあまりに当たり前の事実を今更ながらはっきりと認識しだしたからだ。

「毎日今日が最後の日だと思って一日一日一生懸命生きろ」なんて本を読んでも全く心には刺さらない。

実際に自分は健康だし、そんなボクが刹那的に毎日を最後の日だと思って生きていたらエネルギーが枯渇して早死にしそうだ。

それより健康寿命に留意して少しでも長いスパンでの人生の楽しみ方を模索すれば良いと思っている。

 

でも・・・大切な人たちと共有出来る時間の終わりは、もっと早く訪れることもある。

その時、お互いに後悔がなければハッピーエンドだ。今はそう考えることにしている。

 

お袋には十分に親孝行してきただろうか?

自分なりにしたいことはしてきた。

そこは結局のところボクの自己満足・自己納得によるものだから間違いない。

そう考えればもうボクの気持ちの中では準備は出来ているはずだ。

後は最後の日までそれを続ければ良い。

 

 

さて・・

由比ガ浜の鰯専門料理屋。

5人までしか入れないカウンターのみの小さな店。

2年振りの訪問だけど、ご主人はボクを覚えていてくれたようだ。

震災で流されてしまった奥能登の酒蔵のお酒。

もうしばらくは吞めない貴重なストックを味わっていただく。

 

 

 

 

最後は鰯のつみれで〆る。見栄えは家庭料理だけどお腹も味覚も満たされる。

 

 

 

砂浜に書かれたラブレター💛 ザ・湘南だ~

麻太郎じゃないのね(笑)。

 

それではShanti Shanti! 素晴らしい1日を!

 

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