強いのは・・

「どこかにマイル」で高松が当たったら、是非瀬戸内海の直島まで足を延ばして訪問したかったLee Ufan美術館の作品が国立新美術館で見られるとのことで、天気の良い日に行ってきました。

 

無機質な二つを対峙させると有機的な対話が始まる。よく分からんけど・・・

20~30代には「世界を見てやろう」と、行った先ではガイドブックに載っているような有名な美術館や博物館は必ず寄ってみました。

ニューヨーク、パリ、ロンドン、マドリード、ローマ、モスクワ、カイロ etc

でも何の記憶も思い出も残っていません。多分 ”観光名所のひとつ” としてなんとなく「見とかなきゃ」的な感じで鑑賞していたんでしょう。

今でも正直、美術や歴史には特別な思い入れは無いけれど、こうして仕事を辞めてから落ち着いた空間でいろんな角度からゆっくりとものを眺めるのは、結構贅沢な行為だなと感じ始めています。

これも「定年万歳」のひとつの事例です。

お金を握っている組織

首相<財務省?

徐々に税絡みの議論が出始めている。

まあインボイス制度や防衛費増税など個人的に反対しないものもあるが、国民が物価高で喘いでいる(とメディアが言っている)今日、消費増税検討の話などタイミング的には上手くないなぁと思う。

でもボク的には今の政治はもうエンタメとしてしか見ていないし、ここに怒りのエネルギーを注いでも仕方ない。

本当に頑張ってほしいと期待しているのは国家安全保障くらいなので。。

 

そうは言っても何とも不思議なのは、岸田さんが増税肯定派に回っているという展開だ。

彼の当面の最優先事項は岸田内閣支持率の回復のはずだけど、どう見ても増税に世論の賛同は得られないと思うのだが・・

そこはやはり首相と言えども財務省には抗えないということか?

予算を握られている上に、国税庁まで管理下に抑えられているからな。各国会議員のスキャンダルネタのストックも豊富にあるんだろう。

でも財務組織が強いのは何も政治だけではないような・・

CEO < CFO ?

これは一般企業も同じことが言えないだろうか?少なくとも前職の会社はそうだった。

Stone (石の様に固い)と陰で呼ばれ恐れられていたCEOではあったが、最終的なビジネスの判断は営業ではなく、いつもCFO(財務担当副社長)の提案に準じたものだった。

ボクが入社したころは、営業が採算責任を持って商品を販売していたものだ。そこに外資が入って来てからは営業の年度計画は勿論のこと、日々の価格見積もり段階でも財務部の承認が必要になった。そしてその財務部はほぼ全員ドイツ人で占められていた(笑)。

一昔前にアメリカでは「手に職がなく、能力も学力もない奴が最後に行き着く職業がセールスマン」というような風潮があったが、確かに営業は販売と市場シェアの数字しか目に入らないから、採算は二の次になり易い。

メーカーなら極端な話、設計・生産技術・購買等の関連組織が一生懸命製品のコストダウンを図っても、何も考えずにその分お客に価格を下げたりしていたのが昭和の時代の営業だったのだ。

かつての高度経済成長など望むべくもなく、国際競争も激化、商品の値下げ圧力が高まっている現代では財務組織の役割と力が大きくなっていくのは企業が生き残る為の当然の帰結だったのだろう。

 

その中でも(あくまで営業視点でみると)国と私企業では財布を握っている組織には「なんだあなぁ・・」と思える親和性がある。

財務省は増税はしても日本経済(GDP)は普通に成長していく前提で年度予算を組み、一方各企業の財務部では毎年コンスタントに商品の値上げを実行しながらも普通に市場シェアは上昇していく前提で年度計画を立てる。

政治も営業もこれに抗えないのは、やはり奴らに予算を握られているからだ。

国会議員は応援してくれる地元有権者に、そして営業は担当地域のユーザーに喜んで貰うという使命感はあるだろう。その為の玉をなるべくたくさん予算化する為には、予算元とのディールや忖度は不可欠なスキルとなっているのだろう。

余談

ボクが今の家を建てて引っ越して来た10年前、近所の社宅(と言ってもうちの2倍は広い)に住んでいたドイツ人のCFOがどこかから聞きつけて「ご近所さんになったんだから一度新居に招待して」と満面の笑みでアプローチしてくる。

その後2回ほど軽い督促を受けて、コイツは本気か?と狼狽えながらも承諾。週末にちびっ子含め家族5人でチャリンコに乗って我が家に遊びに来た(笑)。

ウサギ小屋ならぬウサギの遊び場くらいの中庭でBBQをして盛り上がったが、ボクもここぞとばかり当時の懸案事項についてディールを持ちかけた。

結果は勝率40%。もう御の字だった。

普段エレベータートークくらいでしか1:1の交渉のチャンスが無いCFOと、ビール瓶3本空けるくらいの時間は1:1で真剣勝負出来たのだ。

こういうチャレンジも楽しんで仕事にしていたあの当時のボクは、間違いなく人生を楽しんでいた。

 

こちらは渋谷の文化村にて。

イッタラのグラスで飲むリンゴニンジンジュースで麻太郎家の朝は始まる。

そしてディールも忖度も不要な生活の方が圧倒的に生き易いと今更ながら感じる今日この頃。

 

それではShanti Shanti! 素晴らしい1日を!

タイトルとURLをコピーしました