先日JALの記事を書いた後で、改めてボクは(グローバルクラブで)上手くJALに囲い込まれたなと思いました。
でもJALも世界中どこにでも飛んでいる訳ではなく、流石に99ヶ国も訪問すればそれぞれの向け先のフラッグキャリアをはじめ、様々なエアラインに乗りました。
今日も時間がたっぷりあるので(暇なので)、確実に覚えているものに限り列挙してみました。
本当に誰にとっても役に立たない情報ばかりで恐縮ですが、何しろ暇なので・・
今までに搭乗した航空会社は
日本 (3社)
JAL、ANA、日本トランスオーシャン航空
アジア (15社)
キャセイパシフィック航空、ドラゴン航空、シンガポール航空、シルクエアー、マレーシア航空、タイ国際航空、フィリピン航空、ガルーダインドネシア航空、ベトナム航空、エアランカ、エアインディア、ロイヤルネパール航空、パキスタン国際航空、エミレーツ航空、ターキッシュエアラインズ
米国 (11社)
アメリカン航空、ユナイテッド航空、デルタ航空、エアカナダ、アエロメヒコ、コパ航空、アビアンカ航空、TAME航空、ヴァリグ航空、ランチリ、アルゼンチン航空
欧州 (11社)
英国航空、ヴァージンアトランティック、エールフランス、ルフトハンザ・ドイツ航空、アリタリア・イタリア航空、イベリア航空、TAPポルトガル航空、KLMオランダ航空、スイスエア、フィンエアー、オーストリア航空、
オセアニア (2社)
カンタス航空、ニュージーランド航空
アフリカ (7社)
ロイヤルエアモロッコ、エチオピア航空、スーダンエア、ケニア航空、タンザニア航空、ザンビアエアー、南アフリカ航空、モーリシャス航空
飛行機にまつわる思い出
昔の曲を聴いて、長年忘れていた当時の思い出が不意に蘇るという経験は誰にでもあると思います。
僕にとっては過去に搭乗した飛行機のことを思い出す機会はなかったのですが、当ブログの流れで飛行機の記事を書くにあたり、やはり様々な思い出が蘇ってきました。
やはりアジアの航空機が1番
毎年様々なエアラインランキングで必ず上位に入るシンガポール、キャセイ、エミレーツ、そして日本の2トップ等アジアの航空会社は、勿論ボクをはじめアジア人には機内食が口に合うし、あとCAのホスピタリティが群を抜いていると思います。
マレーシア駐在時にプライベートでの一時帰国でJALのエコノミークラスに乗っていた時、成田に着陸の際ボクがむくんだ指に結婚指輪が痛かったので指輪を取り外そうとした時です。
着陸の弾みとブレーキによるGにより指輪が後方の飛んで行ってしまったのですが、乗客が全て降りた後に何と3人の日本人CAが30分近くリングを探して下さいました。
大事なリングはカーペットの内側に入り込んでしまったのか、残念ながら見つからなかったのですが、朝方着のフライトで疲れていらしたでしょうし、その後の折り返し便のタイムプレッシャーもあったでしょうが、これだけの時間をかけてCAが献身的に探して下さる可能性があるのはアジアの航空会社だけでしょう。
因みにアメリカ(合衆国)のエコノミークラスだと、CAが離陸前に通路から各搭乗客にスナックの入った袋を投げて渡すことになります。乗客はスナックの受け取りを拒否することも出来ない(笑)
但しアメリカらしい良さもあって、ワンワールド(JALが参加しているアライアンス)のメンバーであるアメリカンには良く乗りましたが、ここのビジネスクラスは食事は今一つですが、デザートのアイスクリームは凄い。こぶし二つ分のバニラアイスクリームにチョコキャラメルの洪水、絶対身体に悪いやつですが合法的な麻薬です(麻太郎、お替りしたこと複数回)
近くて遠い国 キューバ
コパ航空は何故使ったかな?パナマに行く時は必ずワンワールドのアメリカンを選んでいたはずですが、思い出しました。キューバに行ったんです。25年ほど前のことです。
まだフィデル・カストロ政権下、いずれアメリカ合衆国の属国に成り下がる前に、この国の「熱帯の社会主義」をどうしても見ておきたかったのです。ボクが恣意的に理由をつけて出張に行った唯一の国です。
当時は会社の旅行エージェントから「キューバの入国スタンプをパスポートに押されると後でアメリカの入国が面倒になるかも」とも言われており、当然フロリダ半島と目と鼻のハバナ間のダイレクトフライトなどあろうはずもなく、わざわざマイアミからパナマシティを経由してキューバに入ったものです。
ハバナ市街から少し離れた海辺のリゾートホテルに投宿しましたが(仕事目的でなかったからね)、室内のテレビでは当たり前のようにCNNが放映されており、複雑な気持ちになりました。街中は治安もとても良く、教育レベルも高く、道端でギターを弾き語る陽気な人々・・いつまでもこのままでいてほしいという思いは単なる通りすがりの無責任な訪問者のたわごとでした・・
ドイツ女性は強い
マレーシアに駐在していた時は、マネージメントはボクと現地マレーシア人一人を除き全てドイツ人でした。
規律とプロセスをひときわ尊重するドイツ人、ボクが度々会議に遅れると、ドイツ人社長から「どうした?日本人は世界で2番目に時間厳守の国民ではないのか?」といつも小言を言われていました。勿論時間厳守でないボクが悪いのですが・・
この社長とドイツに出張に行った時、先ずクアラルンプール空港でルフトハンザ・ドイツ航空の出発が3時間以上遅れました。おまけによりによってフランクフルト到着後にはロストバゲージ・・勿論彼のスーツケースが。
二人でバゲージクレームの事務所に行くと、彼と同じくらい体格の良いドイツ人女性の空港職員が彼に大きな声で何か一喝。するとあの社長がすごすごと5人ほど並んでいる列の最後尾に・・(5人もロストバゲージか!?) いやぁ何の落ち度もない彼がどうして。。この時ばかりは気の毒に思いましたが、一方でこのシーンを会社のマレーシア人達にも見せてあげたい気持ちもありました。きっと彼も人気者になれたと思うのですが。
我が社では在日中のドイツ人が日本人女性と結婚するケースも多々あるのですが、昨今かなり強くなった日本女性もドイツ人女性と比べると本当にやさしいんでしょうねー。
アフター9.11
2001年の同時多発テロ以降の海外出張は緊張を強いられるものでした。初めの1年間くらいは、社として出張全面禁止となっていましたが、その後は適宜判断でゆっくりとスタート。今回のコロナもワクチンが手に入れば、今までの通り世界に出ていくのでしょうか?ちなみに奥さんが勤める会社は、既に駐在員は日本から各々現地に戻りつつあるようです。日本人ってやはり凄いなぁ。もしかしたら狂っているのかも。
2003年3月の南米出張中にイラク戦争が始まってしました。もうアメリカ経由で帰れない。シンプルにアメリカ本土でも何が起こるのか予想するのが困難だったからです。
南米のチリからランチリでニュージーランドへ横に飛び、オークランドから成田へまっすぐ北上したニュージーランド航空。ビジネスクラスの乗客はボクを含め二人だけでした。
映画を見る訳でも読書をする訳でもなく、ただただ窓から南太平洋を見下ろすボクに、CAの方が横に座ってNZ訛りの英語で説明してくれました。「これがニューカレドニア。これがバヌアツ・・」「へー天国に一番近い島ってこんなに真っ黒で大きな島なんだ・・」
南太平洋の島々はボクにとってまさにブルーオーシャン、訪れたことがないところばかりでした。
世界のどこかでとても不幸な出来事が人為的に起きている中で、こんなに美しい自然を目の当たりにしている自分がなにかとても非日常的な体験をしているようでした。
アフリカはミラクルワールド
あまりに多くのことがありすぎて、また遠い昔の記憶過ぎて上手く文章になりません。
13時間空港内のベンチで待たされて、挙句の果てに飛行機が飛ばなかったガンビア・バンジュール。
乗り継ぎに失敗して一晩空港内で蚊取り線香を焚いてバックを抱えて本を読んでいたコンゴ・ブラザービル (空港内にはマラリア蚊もいたし、もしかしたら泥棒に豹変するかもしれない空港職員みたいな人もいた)。
空港から湾岸通りに沿って市街地までタクシーでいくと2時間くらいかかると脅かされて深夜のヘリコプターで何とか辿り着いたシェラレオーネ・フリータウン。
そしてどこの国でもパスポートコントロールでたかろうとする空港職員。
あるナイジェリア駐在員は空港を利用するたびにたかられ(勿論領収書は出ないのでポケットマネー)、ある日ついに意を決してパスポートにお金を挟まずパスポートコントロールを突破しようとしたそうな。
空港職員から「出国出来ないよ」と言われた彼は「上等だ!そしたら俺の後ろに並んでいる搭乗客全員道連れだ!」と気張ったら、本当に全員取り残して飛行機は出発したそうな。
アフリカ恐るべし!
それではShanti Shanti! 素晴らしい1日を!