どこかにマイル~沖縄(那覇散歩編)

 

どこかにマイル NO7~沖縄 (那覇で沈没編)

夏の沖縄・・昨日の投稿を読み返してみて、呑む食べるだけの旅の思い出に愕然とする。

 

何となく過ぎる一日(昔のアジア旅もそうだった)

「日本全域が雨なのに沖縄だけラッキーだね」

奥さんからのラインを見て空を見上げてみる。

真夏なのに何故かきれいなうろこ雲が・・

準備していったもの

車を使わない一人旅では、極力荷物を抑えてナップサックで出かけます。

今回は夏の沖縄ということで、帽子、短パン、ドライタオル、ウェットタオル、扇子、日焼け止めジェル、そして予備のシャツを1枚持って行き、その全部が役に立ちました。

日焼けを避ける為のサングラスを今回持って行かなかったのは、黒いサングラスは瞳孔を開かせて紫外線を取り込み逆効果であると最近知ったからです。薄い色合いのUVカットグラスならOKのようです。60歳を過ぎて尚学ぶことは依然多いです。

 

でも国内外を問わず、手持ちの荷物を極力減らして無事に旅を終えた時の快感というのは、いつもボクの旅の楽しみのひとつとなります。

若い頃の海外一人旅では、安宿にチェックインするたびに「本当に荷物はこれだけ?!」と聞かれ、意味不明の優越感に浸ってうなずいていたことを思い出します。

インドのバラナシー、ネパールのカトマンズ、パキスタンのフンザ、トルコのイスタンブールやポルトガルのリスボンetcetc..一日中街を徘徊し、バザールを冷やかし、2~3日通った店のオヤジに飲み物を振舞われて過ごした遠い昔のノスタルジー。

今回もアジア並みの猛暑の中、あても無く街中をぶらつき体力と相談しながらホテルで休憩、水シャワーを浴びてシャキッとしたらTシャツを着替えてまた町へ繰り出す。

やはり那覇には異国を感じるものが多く存在するのでしょうか。

今回泊まったビジネスホテル。部屋は広くないが、洗面所、トイレ、バスルームが独立していて一泊5千円くらい。ボクの一人旅には十分過ぎる空間です。

 

ホテル1Fの共同スペース。コーヒーの他にさんぴん茶やシークワーサージュースがフリードリンク、暑い昼下がりに度々休憩に戻る。朝から夕方までずーと同じ場所でパソコン作業している若者。ノマドワーカーだろうか?この辺も妙にアジアのゲストハウスとシンクロする風景。

那覇の海

取り合えず沖縄に来たからにはと、朝一番で那覇に唯一ある波上ビーチへ歩いて行きました。ホテルから15分程度の散歩ですが、汗がしたたり落ちる。

大量に汗をかいた後の塩ちんすこうのブルーシールアイスは、感激物の美味しさ

いくつものラブホテルをやり過ごし (笑) 何か古ぼけた街並みの朝風景を楽しんでビーチに到着。多分歩いてビーチに来る観光客なんかいないんだろう。

那覇の海も沖縄色でした

 

誰もいないビーチでライフセイバーさんが既に待機していました。何ともシュールな風景。

 

波上ビーチから見上げる波上宮。実は琉球で一番格式の高い神社だそうです。

金城町の石畳道から首里城公園

琉球王国時代に作られた軍用道路。沖縄戦で多くが破壊され、今では300メートル程石畳道がのどかな風景として残っている。日本の道100選だって。凄い。

 

那覇にもこんなに立派なガジュマルの木が。奥に見えるのは地域の公民館らしい。観光客の無料休憩所を兼ねている。

 

魔除けにしては愛嬌満ち溢れすぎでは(笑)

 

城壁、赤い瓦、そして海。とても沖縄的な風景。

 

皆が立ち寄る守礼門。ここも沖縄戦で破壊されたものが昭和33年に復元された。それでもボクより年上。首里城も今後再建されたらまた長い歴史を作ってほしい。

沖縄民は

南国らしく皆さん乗降の動作がゆったりしている。従ってドアの開閉時間にも東京の2倍以上はかけているだろう。

でもその一方で、車内では空いている席に座らず立っている人々を結構見かけました(車内が混んでいる時は詰めて席に座るが)。

また車内は勿論、日中炎天下の外でも歩行者は皆マスクをちゃんと付けているし、車が来ていなくてもちゃんと赤信号では待機する。

ボクが勝手にイメージしていた沖縄人とは違う。本土よりむしろ規律の面では相当上かな。

 

最終日は空港に行く前に沖縄県立博物館で半日過ごしました。今年は沖縄返還50周年ですが、これだけ沖縄を訪れているのに正直沖縄のことを勉強してこなかったのです。

13世紀から独立国家として栄えた琉球王国は、絶妙なバランス外交で日本と中国それぞれから文化、経済、教育面で多くを吸収していたが、後に薩摩藩に侵攻され、太平洋戦争の現場となった後には米軍に統治され、そして1972年に日本に返還された。

沖縄が日本に返還されたのは奇跡じゃないかと思う。地政学的に沖縄は戦略的な軍事拠点として本来アメリカは手放したくなかっただろうし、それこそ当時国力があれば中国がアプローチしてきても全く驚きもしない。

でも前述の高いレベルの規律を兼ね備えた沖縄民は、結果的に日本に戻って来て良かったんじゃないかと、無責任ながら観光客の一人としての感想でした。

博物館内にて。あっ!ここでもAサインの看板が・・Welcome Military Personnel アメリカ統治下でも沖縄民のしたたかさを垣間見る。

初めての抗原検査

沖縄人口は東京の十分の一。一方コロナ罹患者は東京の三分の一。

東京に戻る前に為念那覇空港で抗原検査をしました。検査料は4千円ですが観光客は沖縄経済を少しでも回していると評価されて無料でした。ありがたいことです。

 

結果は30分後、お土産を買っている時メールで頂きました。陰性でした。

そりゃ沖縄民は皆さんちゃんとマスクしているから大丈夫だと思っていましたよ。

 

我が家のお土産として大好評だったふくぎやのガジュマルバームクーヘン。年輪見立ての黒糖が控え目に良い仕事をしている。お薦めです。

 

それではShanti Shanti! 素晴らしい1日を!

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