アワビのステーキとビーフバーガー。
この軽いランチをご当地マリブで注文すると何ドルかな?
アメリカのインフレとドル高のWパンチで、コロナが収束しても当面向こうに行く気はしません。
カルフォルニアの雰囲気と味を楽しむだけなら日本でも十分です。って言うか他に何を望む?
台風4号は見事にコースアウトしたので、逗子マリーナで奥さんがボクの誕生日をささやかに祝ってくれました。
若い頃は何度か泊まりに行ったりユーミンのコンサートに行ったりと、思い出深い古典的なリゾート地ですが、今回の訪問は本当に久しぶり。
今はボク達と同年代と思われるカップルたちが平日をゆったりと過ごしています。
誕生日を迎えて
2年前の誕生日から有給消化に入り、実質的な退職となりました。
今のところ2年間経っての所感に強いものが無く、まぁ何か気が付いたらまたブログで独り言を吐くかもしれません。
でも2年前の今日は確かにひとつの人生の節目だったと思います。
振り返れば人生の節目なんて大層なことはそんなにある訳も無く、社会人になった時と結婚した時くらいか・・確かにそうかもしれない。
これらには新たに大きな責任を負うといった緊張感があったのに対し、退職した時は今まで負っていた社会的、経済的責任から解放されたという意味において大した覚悟も無く迎えてしまった節目かもしれません。
でもそのことが今何か問題になっているかと言うと、何も問題になっていなくて良かったというのがこの2年間を過ごしてきた所感かもしれません。
家がボクのものになったこと
賃貸から持ち家に
社会人になって初めの数年間は会社の寮で過ごし、その後結婚するまでは会社徒歩圏のワンルームマンションでシンプルライフ、結婚してからは海外駐在を挟んでこれまた会社徒歩圏の賃貸マンションに住んでいました。
最後のマンションの賃貸料は結構重かったのですが、今更通勤電車なんかに乗りたくなかったこと、奥さんは息子が通っていた区立小学校の学区内を希望していたことから、ずーっと賃貸生活を続けていました。
一方で両親が住んでいた実家近くには30年間ほど空き家にしている故祖父母の家があり、ご近所さんからも治安上の問題が指摘されていたので、売却を渋っていた父も最後は決断し更地にして一部を売却、残った土地で今のボクの家を建てることになりました。
その時は既にボクは社有車を持っていましたし息子も中学生になっていたので、当時のマンションに住み続ける理由も希薄になっていました。
ボク自身は当時自分の家を持ちたいという強い気持ちは無かったのですが、父も同意してくれたことですしこれもタイミングだろうと思って、自宅を持つ決心をした次第です。
土地については後に相続税を払うだけで済みましたが、世間一般家庭がそうであるように、持ち家はボクにとっても人生で一番高価な買い物でした。
でも前述の経緯より「ついに俺も持ち家を手に入れた!」という強い達成感もなく(笑)、勿論これが人生の節目とか全く思いませんでした。
それから10年経って
先月銀行から住宅ローンが完済されたとの通知があり、抵当権抹消手続きの用紙が送られて来ました。
「あーそうか、ローン完済したんだ(忘れてた)」そして「あーそうか、まだこの家はボクのものになっていなかったのね」という何とも間抜けな男がひとり。
何かいい感じで感無量とかなれれば良かったのですが(笑)
それでさっさと最寄りの法務局に出向き必要な手続きを済ませ、1週間後にはこの家は完全にボクのものになりました。先ずは良かった良かった。
今思えばツイていたこと
ボクと奥さんが勤めていた両会社の同グループのハウスメーカーにお願いしてダブルでグループ割を貰えたこと、そして何より営業、デザイナー、装飾担当の皆さんが気持ち良い方々だったことが思い出されます。
建築までの間、奥さんと一緒に毎週のように赤坂の事務所にお邪魔して「あーでもないこーでもない」と打ち合わせに付き合って下さいました。
実際家を所有したことより、むしろ家を建てるまでのプロセスの方が印象深かったです。
他にも今振り返ればツイてたこともいくつか。
先ず現在参院選の焦点にもなっている日銀の異次元の長期金融緩和も我が家にとっては追い風でした。
上物の建築費用の3分の1を10年ローン返済することにしました。
当時の超低金利がまさか10年間続くとは考えていませんでしたが、敢えて変動金利を選んだことで結果的に住宅ローン控除額とローン金利負担額+生命保険料でほぼほぼチャラになりました。その一方で昔から掛けていた生命保険は重複するので解約することが出来ました。
また、現在東京都でにわかに話題になっている太陽光発電についても、10年前は国・東京都・大田区がそれこそ三位一体で取り付け工事費を補助してくれたし、売電収入も現在の2倍以上ありましたので、本当に良いタイミングで設置することが出来ました。
この家は50年間はもつらしい。ボクが寿命と考えている100歳までです。
最後はここで人生を全う出来るのか、それともいずれボクの頭がしっかりしているうちに売却して介護施設にでもお世話になるのか・・・やはり健康が第一ですね。
さて、逗子から東京に戻り、奥さんに誘われて資生堂パーラーで今日2度目のスイーツを(汗)
「健康第一だけど今日だけは幸せ太りで良いか」とお得意の自己満足。
それではShanti Shanti! 素晴らしい1日を!