定年退職して1年(祝)

今日は7月末日、昨年の今日定年退職してちょうど1年が経ちました。

昨年7月上旬から有給消化期間に入り、1年たった3週間前にこの1年間をざくっと振り返ってみましたら、望んでいた穏やかな日々でしたが、コロナ禍でもそれなりに元気に遊び学んだ1年であったと思います(こういう場合は、自己満足した者勝ち!)。

あっ!一年たったんだ

現職の時は早期退職と雇用延長の両方を検討していた時期もあることから、正式に会社を定年退職して1年間たってみて、現時点の結果論として結局60歳で退職してみてどうだったのか、極力バイアス無しで考えてみました。

 

雇用延長を選ばなかったこと

平穏な日々を手に入れた実感

毎週日曜日の晩の憂鬱、翌朝が雨予想の天気予報を見てしまった時の何とも言えない億劫な気持ち、週末や旅行先でも思わずチェックをしてしまう会社のメール、会社関連の寝汗を伴う夢の数々・・これらから解放されただけで、生活の質(QOL)が格段に上がりました。

数年前からリタイアブログを眺めるようになって、みんなこんな理由でFIREを目指している記事を読んでは、「要は今の会社から逃げたいだけなのね」と冷ややかに感じてしていたものですが、会社に行くこととパッケージになっている前述のような感情というのは、思いのほかボクにも100%当てはまるものでした。

だから会社に着いてしまえばそんなに嫌いでない仕事であったとしても、そして会社を辞めた後の具体的なTo do listが無かったとしても、会社を辞めたこと自体がより豊かな生活に繋がったのは軽い驚きでしたし、その思いがこれまで1年間続いたのはさらに大きな驚きでした。

サラリーマンに対する未練は?

今も未練があるとすれば、主にそれは在宅勤務という新しい労働環境についてです。

正確に言えば、前職では昨年3月にはハイブリッドの在宅勤務も始まり、前述の会社に対するネガティブな感情はかなり低減されていました。

同じく在宅勤務の奥さん、オンライン大学授業の息子と1日自宅で過ごせるのは楽しかったですし、気になっていた近くの実家の母の散歩にもフレックスで毎日連れ出すくらいの自由度は持ち合わせていました。

この1年間、在宅中心で勤務している奥さんを眺めると、ボクも後1~2年雇用継続してたらどうだったかなぁと感じる事は多々あり、この感情が未練だとすれば、未練はこのくらいです。

 

また、再雇用の際の給料も思ったほど下がらず(それが人事から確認できたのはボクが退職宣言してから2か月も後だったのですが)、当時のコロナ禍での労働環境が極めて不安定だった状況で、この破格とも言える権利を手放すことに対する未練も確かに当時あったのですが、今は全くありません。

現時点の結果論ですが、このコロナ禍で計画通りにはあまりお金が使えていない今の生活でも十分に楽しいですし、期待もしていなかった会社からの退職後ボーナスや、失業保険給付延長、その他父からの遺産(将来売るつもりのない株ですが、いざと言う時の安心資産)、そしてこの2年間の地合いの良い相場環境(特に米国向け投資信託)を勘案すると、もう会社から貰うお金は不要という結論です。

大抵のサラリーマンは、この経済的理由により雇用延長を選ぶ訳ですが、この経済的理由が無ければ、雇用延長を選ぶ理由もないということです。身も蓋も無い話ですが(笑)

 

従って結論としては「もう少し働いてもそれはそれで新しい経験が出来て面白かったかもしれないけど、60歳で仕事を辞めた生活は期待通り豊かなものであった」と言えるでしょう。

後悔は全く無し。

 

早期退職を選ばなかったこと

仕事に対するモチベーション

辞めるとすれば定年3年前でした。

一種の役職定年のような形で権限が縮小され、長年携わってきた海外事業から初めての国内事業へ。定年までのたった3年間を残して、いちから勉強してネットワークを作って行かないといけない状況って結構大変はじゃないかって普通に思っていました。

社有車もなくなり、この歳からまた電車通勤もなんだかなぁ、終わりが良くないなぁと。要は今まで会社でボクを引っ張ってくれたモチベーションがほぼほぼゼロになったので、もう35年も会社勤めしたからいいかなって思いました。

経済的な理由は?

58歳の時に奥さんとFP(フィナンシャルプランナー)に相談の結果、ボクが60歳まで働くこと前提に、「現在の生活レベルを95歳まで維持出来る」と太鼓判を押されました。

現役時代に比べて定年後の生活費は7割くらいとかネット情報が溢れていますが、自由時間が多ければお金は多くも少なくも済ませるだろうと。少なく済ませれば早期退職も問題ないように思いましたが、多く使うかもしれない選択肢も持ったほうが、それは自由度は格段とあがるだろうと思いました。

まぁ奥さんが自身はまだ働くと言っているのに、亭主が早期退職して「定年後はそんなに贅沢しなくても・・」っていうシーンはあまりカッコよくないなぁと思いました。

その結果、経済的にはやはり後3年頑張ろうという月並みな結論でした。

で現時点の結果論としては?

3年前に辞めてもなんとかなったかも。99年のリーマンショックは100年に一度の(株式市場の)大暴落だった訳ですが、一方でコロナ対策としての世界的な金融緩和のお陰で、この3年間は本当に100年に一度かもしれない(株式市場の)大景気でした。

3年前に纏めて買った米国株式インデックスがその後50%上昇したことから、結論として現在2年分超の年収分の含み益が出ています。

インデックスファンドが3年間で50%上昇ですよ!この失業者で溢れる労働環境の中で資本主義のひずみですね。

でも「たられば」の結果が現実になっただけですから。あの時は、正直まだ経済的理由で仕事を辞めるには至りませんでした。

ソフトランディング

前にも書きましたが、定年後の燃え尽き症候群、もしくは肩書が亡くなった喪失感みたいなものに悩まされる定年組が多いと言われる中で、ボクはうまくステップダウンして60歳定年を迎えられたと解釈すれば、60歳までの3年間のポジションのダウンサイジングは退職までの良いブリッジになったのではと思います。

会社がもう嫌になって予定より早く辞めたくせに、前職中のプライドだけを引きずることになれば、残された長い時間を自己肯定感を持って過ごすことは難しいですよね。

 

従って今の段階では、60歳まで勤めてまあ良かったと思いますが、もし3年前に今の資産レベルを知ることが出来ていれば、早く辞めていたかも。

でも当時そんな予想が出来ないから辞めなかったのは当たり前のことだったのかもしれません。

要は後悔ない訳だ(ということにしよう)

先週寝室の押し入れから、ボクが退職した際貰った色紙が出てきました。

「会社が面白くないから少し早めに辞めます。今後のことは暫くのんびりしてから考えたいと思います。」では、この様な形でエールは貰えなかったかも。

コロナ禍で出社も制限されていた昨年の6~7月、みなさんどうもありがとう。

 

それではShanti Shanti! 素晴らしい1日を!

 

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