仕事メールに救われた話@インド

今日は昭和の日で祝日。

定年退職して祝日も何もないけど、先週よりサラリーマンのような(よりハードモードな?)生活をしているので、週半ばのお休みは有難いです。1日中雨なのでゆっくりカタカタとブログでも。

インド列車

昨日のブログで2年半前のインド旅行の写真を見て、本当にもうずいぶん昔の話のように懐かしい気持ちになりました。

この体感時間はジャネーの法則的には定年時期を跨いで今でもボクは好奇心を持ってそれなりに日々を楽しめているということでしょうか?

身軽なインド旅行

決してインドが簡単な旅行先だということではありません(笑)

何が起こるか分からない非日常が醍醐味のインド旅行。この歳(当時58歳)で精神的なダメージをあまり負いたくなかったので、本当に何を失っても良いように最小限に荷物、かつ着るものも息子がサイズが合わなくなったお古を中心に揃えました。

要は身ぐるみ剝がされても後悔無いように備えたという事(笑)

息子が背負っているデイパック。放置されていたので、お借りしました。

10日の旅程で5つの小さなホテルに泊まりましたが、全部のホテルでチェックイン時に「本当に荷物これだけ~?」と聞かれました。

実際は帰国前に買ったばら撒き用お土産のアーユルヴェーダの石鹸60個が入ったので、道中の荷物は相当少なかったと思います。

インド人もビックリ!!(古い)

Tシャツ      3枚(寝巻兼用)

パンツ      3枚

長袖の薄いシャツ 1枚

インナーのズボン 1枚(部屋滞在時、寝巻兼用)

短パン      1枚(結局使わなかった)

後は出国時に着用していた長袖シャツ、ジーパン、ジャンパー、クロックスサンダル、靴下、下着そしてサングラスとキャップ。

これだけの衣服で荷物のほとんどを占めます。

 

最後まで迷ったのがスマホです。

プライベート用と会社用・・

会社用は失くすと面倒だったのですが、なんせクリスマス前から有給を取っての旅行、、当時はまだ流石に完全クローズとは出来なかったので仕方なく携帯しましたが、これが思わぬ形で役に立ちました!

何ともならないこともある

砂漠地帯であるラジャスターンの旅は、日程も考慮して二つの都市(村?)に絞っての観光にしました。

最初はタール砂漠の玄関口のジャイサルメールと砂漠だけの滞在、デリーから直接飛行機で飛んでしまうというシンプルな旅程も考えました。(本当に便利な世の中になりました)

しかし鉄道王国のインドですので、デリーから中間地点の蒼の町ジョードプルまで飛んで、そこからジャイサルメール往復を敢えて列車にしました。

さて全工程の飛行機の手配、ホテルの手配を済ませ、ジャイサルメールのホテルのオヤジに日本からメールでやり取り。ボク一人だけの砂漠ツアーを組んでもらい、列車の予約もお願いしました。

列車は復路は日中の移動でエアコン付きの席がとれたのですが、往路の寝台列車で、SLクラスつまりエアコンレスの席しか確保出来てないと・・

まぁ後5日間で何とかなるだろうと思って日本を出ました。

でも結局何ともならなかった・・運賃500円の夜行列車に乗ることに(笑)

エアコン無しの寝台車はこんな感じ(笑)

インドの夜の駅はだいたいこんな感じ。毎晩ここで寝て暮らす人も多数。列車に乗る訳ではない。

プラットフォーム迄くれば流石にみんなチケットを持っている人(だと思う)

ボクが7時間お世話になった夜行列車(笑) 窓の鉄格子は何のため?

インド人も重装備。あれ?毛布持参の人もいたりして、、

ベッドで荷物をほどくと意外にも皆直ぐに毛布にくるまって横になる。結局毛布持ってなかったのはボクだけか?!

朝の風景。ボクは3段ベッドの一番下。通路向かいは2段ベッド。下のベッドが空いていたので、ここで作業をしていました。

勿論、夜間砂漠を走る列車は酷寒ですが、窓は閉まっているものの何故か乗車扉は開いたまま走るのね(汗)

もうデイパックに入っていた衣類は全部着込んだけど、しょせん半袖のTシャツを重ね着しても半袖なので(笑) セーターの1枚でも持ってくればだいぶ違ったんだろうけど。迷ったんだよなあ。成田空港行くまでも寒かったから。

結局3枚のTシャツは、ジーパンの上から腿、膝、ふくらはぎと巻物の様に履いて何とか3時間くらい横になって過ごしましたが、もう限界。じっと目をつぶっていることが出来なかったのです。

起き上がって隣の空いているベンチシート(兼ベッド)に移りスマホを見ることに。ボクのプライベートフォンは、外国の無線環境では繋がらないので、会社のスマホを開く。

旅に出て4日目、数百通のメールを一つ一つ丁寧に見ていく。普段は全く開きもしないコピーメールにも目を通す。要すれば返信も打つ。本社で受信した人はビックリしてたんじゃないでしょうか。

でもこれで救われました!ジャイサルメール到着までの残り4時間、ひたすら文字や記号の読解、返信に集中して何とか時間をやり過ごしました!

移動中のこんな地の果てでも日本にいる人達と繋がっているなんて本当に十数年前には考えられなかったことです。

今思えば、あの時無理に寝なくて良かったと思います。少しだけですが、最悪の事態まで想像していました。まあジャイサルメールで寝込んでしまい、年始に予定通り帰国出来ないくらいの覚悟は普通にしていました。あ~帰りのJALのチケットはリスケ可能なチケットで良かったとか、寒さで意識が飛びそうな中考えたり(笑)

この翌日に泊まりで砂漠ツアーに行けたなんて、まだまだ元気な中年男だったのですね。

勿論エアコン席取れなかったホテルのオヤジには、テント以外にも防寒寝袋を用意して貰いまし

たけどね!

下町のホテルのバルコニーから見た地元の人の小さなお祭り

 

それではShanti Shanti! 素晴らしい1日を!

 

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