カレー番組と新旧旅の思い出

昨晩7時のニュースの流れでNHKの旅番組を見ました。

その名はNHKカレー聖地巡礼~リモート大作戦

日本にある南アジア料理レストランのオーナーシェフ3人が、それぞれが専門のインド、ネパール、スリランカ料理の現地師匠とリモートで繋ぎ、新作のカレーレシピを考案、それをスタジオで朝日真央さんがそれぞれのシェフの指示で料理、それを俳優、お笑い芸人、モデルといったタレントに食べてもらって感想を述べてもらうと言うもの。

ボクは知らなかったんですが、今日本では空前のカレーブームらしく、NHKも頑張って旬のテーマで番組を作り込んだようなのですが・・

カレーって郷土料理だし、そもそも同じ地域でもそれぞれの家庭単位で味も違うので、基本的に地味な美味しさなんですよね。

それを無理やりに気をてらった食材を使ったもので調理するので、単なるエンタメになってしまった。ヤギのレバーのカレーとか、はたまた高木の枝にしか生えていない苔のカレーとか。

試食したタレントさんも、苔のカレーの感想を司会のケンドー小林に求められて「森の香りがしてとても美味しいです!」とか。店でカレー頼んで森の香りがする料理が出てきたら普通感激するか??(笑)

カレー大好きなタレントさんを集めたようなのですが、食後のコメントもなんか浅い。

ネパールのカレーを試食して「私の前世はネパール人だと思いました」とか(笑)

で、最悪だったのは、最後に3つのカレーを試食したゲストにどれが一番美味しかったかを決めさせたことです。結局例の「森の香りがする」ネパールのカレーが1位に選ばれたんですが、日本人って本当に何でも比較するのが好きな民族ですね!

そもそも料理したのはシェフ達自身ではなく、モデルの朝日真央さんだしね。まともなコメントも出来ないゲストの好みを公共の電波を通して順位を発表したりしてどうなんでしょうか? ちょっとシェフの方々が気の毒でした。

NHKも今後はネット配信に対しても(=PC持っているだけで)国民に受信料を課したいと鼻息荒いですが、もう少しNHK独自の価値を探して極めてほしいですね。

 

でも、このコロナ禍で海外旅番組は軒並旧作の再放送である中、リモート旅というのはアイデアとして面白かったです。

タイもプーパッポンカリー(カニの卵和えカレー)とかとても美味しいけど、カレーから思いだされるのはやはり南アジアの旅。

懐かしい旅の数々

南アジアへの旅は、今から25年から35年以上前のこと。もう写真も残っていなくて記憶も薄れていますが、カレーをキーワードにすれば断片的ですが思い出す事も意外と沢山あります。

スリランカ

その形からインド洋の真珠とも言われ、実際セイロンティと共に宝石が有名なこともあり、インドには絶対一緒に来なかった奥さんも同行した島国。

当時は日本ではあまり知られていませんでしたが、欧州やオーストラリアではアジアンリゾートとして既に人気の国でした。

内陸の古都のキャンディやシギリア、当時ヒッピー(死語?)やサーファーで有名なコーストリゾートのヒッカドァ等を汽車やバスで旅行しました。

最後はコロンボにほど近いネゴンボと言う漁村に3泊し、奥さんは年始の仕事始めの為に先に帰国、ボクはその後も暫くネゴンボに一人で残りました。

奥さんとはサンフラワービーチという当地では有数のリゾートホテル・・とはいっても一泊4~5千円くらい(笑)に泊まりましたが、その後ボクはさらに安い一泊千円もしないシルバーサンドゲストホテルに泊まりました。

もう30年位前のことですが、この二つの宿名は何故か今でも覚えています。

シルバーサンドゲストハウスは三階建てでボクは2階のまさにオーシャンフロントの部屋にありつくことが出来ました。

朝食は海が目の前のバルコニーまで持ってきてくれましたし、夜は夜でココナッツの地酒を飲みながら満月が海に浮かぶ様子を眠りにつくまで堪能しました。

ボクの部屋の真上の3階に投宿していた英国人のおばあさんと挨拶するようになりましたが、毎年冬の季節になると毎回この部屋に3ヶ月程住んでいると言っていました。

「退職したらこういう老後も良いなぁ・・出来れば奥さんと一緒に」と30年前に思ったことを今思い出しました(笑)コロナが収束したら是非またゆっくりと行きたい島です。

奥さん帰国後は、毎日浜辺を半日くらいかけて散歩していました。

スリランカは、多宗教国家で、波辺を歩いているとヒンドゥ、イスラム、キリスト、そして仏教の漁村が点々としています。

それぞれの村を通る時にそこに住んでいる小さな子供たちが、「ホェア アー ユー フロム? ジャパニ?」と聞いてボクに付いてきます。多分そのころは、ネゴンボの浜辺をぶらぶらしている日本人は珍しかったのだと思います。皆興味津々でいろんな質問でコミュニケーションを取ろうとします。

でも次の別宗教のとなり村の(多分)ボーダーになると子供たちはボクからすーっと離れていき、今度は次の村の子供たちがまたボクに付いてきます。

こうやっていくつもの小さな海辺の村を通り過ぎ、復路の時には子供たちと旧友のように仲良しになりました。教会がある村、モスクがある村、お寺がある村・・

そこでとある村で、一人の子供がお父さんと一緒にボクを待っていてくれました。

漁師のお父さんは、浜辺の仕事場の東屋のようなテントで野菜カレーを作ってボクを歓待してくれました。

ネパールよりインド、そしてインドより辛いのがスリランカのカレー。ボクは携帯していたペットボトルの水が尽きかけていたので、このカレーを食べ切る為に膨大な量のライスをほうばりました。若いって凄い!

辛さのあまり顔面が汗と鼻水でぐちゃぐちゃになりましたが、子供とお父さんはとても喜んでくれました。

奥さんと一緒でも楽しい思い出ばかりのスリランカでしたが、一人でも一人なりの思い出深い体験もあったということです。

ネパール

ネパールというとヒマラヤの麓の貧しい国というイメージを持たれる方も多いと思いますが、もともと欧州の若者たちが現実逃避の旅の末に辿り着いたカトマンズ、ポカラといったヒッピーの聖地があり、日本人にとっても本当にレベルの高い美味しい食事を供給してくれます。

ですのでこの二つの町(村?)は、タイのバンコク、インドのバラナスィと共に日本人バックパッカーが沈没しやすいことで有名です。

ボクが最初にネパールを訪れた時は、やはり奥さんと一緒でした。

8千メートル級の山々とペワ湖で有名なポカラを拠点として2泊3日のトレッキングをした時のことです。初日に投宿することとなったダンプスという山間の村に着いたのは夕方。

ポカラはエベレスト登山のベースとなるので寒いと思われますが、標高はカトマンズより低い盆地なので冬でも暖かい。登山の最中は半そで、但しダンプスの夜は0度近くまでは下がります。

ダンプスは今では五右衛門風呂がある日本人経営の民宿もあるようですが、当時は簡素なゲストハウスが10件ほど。そのどれもが(ボクの記憶だと)1泊30円くらい。選びようがない・・(笑)

奥さんからは完全に泣きが入りました(笑)。どこに泊まっても良かったのですが、名前に惹かれてマウンテンビューロッジというゲストハウスに泊まりました。夜はダウンを着たまま文字通り身を寄せ合って寝ることになりました。

トイレの場所も宿の方に教えてもらいましたが、どうしてもそれがトイレと認識出来なかったので次の日はボクの人生最初で(多分最後の)野グ〇をしたのもこのトレッキングの途中でした!

このマウンテンビューロッジでありついた食事がネパールの定食とも言われるダルバート。豆のスープとライスという意味です。それに大根等の漬物とカレースパイスの野菜の煮つけ。

平和ボケした日本人が風光明媚なポカラを堪能した後、標高差数百メートルの登山と簡素な宿で泣きが入った状況で、本当に体に染み渡るご飯の甘さでした。東京で生活しているボク達が細胞レベルで”生きてる”を感じることが出来る場所・・・

スリランカと一緒。コロナが収束したらまた奥さんと一緒に訪ねたい国です。

でも今度はせめて五右衛門風呂のある方にね・・

 

カレー旅アルバム

グーグルフォトに収められていた2年前からの旅で・・

マレーシア

マレーシアでもシンガポールでも駐在時代は滅多に食べなかった国民食のラクサ。観光旅行だと何故か無性に食べたくなる。エビや魚で出汁を取るが、これはカレー味。

中が空洞のパン。朝食に最適。

宿からすぐのインド料理屋。朝昼晩と使い勝手が良い簡易食堂。

名物のバターチキンカレー。宗教がらチキンは安定の美味しさ。

 

インド

最初の訪問は36年前。インドはボクの全ての海外旅行において心のベースとなる国。いずれ別記事で書くことがあるかもしれません。

観光客向けだけど味に妥協が無いのがインドのレストラン。特別の具材など無くても本当に美味しい。苔は不要です!

 

タール砂漠でたった一人のボクと怪しげな付き添いのインド人二人。美味しかったぁ!

2年前。58歳の時。かけがえのない思い出。

それではShanti Shanti! 素晴らしい1日を!

 

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