朝の電車でサラリーマン時代を振り返る

10年有効のパスポートが今月切れることに気付いて、慌てて新規切り替え手続きの為に有楽町の交通会館に行きました。

交通会館の隣ビルにあるレーシックの定期健診も最近サボっていたので10時半に予約、その前にパスポート申請手続きを済まそうと朝8時過ぎの電車に最寄り駅から乗りました。

 

今朝の電車の話

えっ!今もこんなに混んでるの?

有楽町へは、先ず目黒まで私鉄、目黒からはJRを使用するのですが、特に私鉄が激混み!

定年ボケでしょうか?この状態でどう乗り込んで良いか途方に暮れていたら、ボクの後ろに並んでいた人がボクの背中を押して車中へ。

ボクの後ろにまだいたか!

この人のお陰で何とか乗車することが出来ました(笑)

東京感染者数800人超えを記録した翌日、本当に皆さんお疲れ様です。暇で時間の融通が利くボクがわざわざこの時間に乗るのは迷惑ですね!次回からは配慮しないとね。

 

理由不明

でもこんな感じだと、日本のサラリーマンはもう簡単にはテレワークにシフトしないということですか?

*ここでは所謂エッシェンシャル・ワーカーの方々は除きます(本当に日々お疲れ様です)。

でも他に毎日会社に必ず出勤しないといけないサラリーマンって実際どの位いるのでしょうか?

ボクの元会社はメーカですが、生産部門とIT部門、そして国内営業部だけは一定数の人間が出社することを許されています。その他全部門は原則在宅勤務。

営業だって、必ずしも相手のユーザーさんが対面営業を好んでいる訳でもなく、また、ラッシュアワーの時間に合わせて訪問を受けたい訳でもないでしょう。

そうとすれば本来はテレワーク対応が未だ準備出来ない一部の会社くらいしか、毎日毎朝8-9時出社の現実的なニーズはないのでは?

まぁ自宅では居住環境の制約で、集中して仕事が出来ない人もいることはいるんでしょうが・・

 

サラリーマン側からすれば、通勤時間は給料が反映されない労働時間。仮に平均手取り年収が400万円とすれば、時給2500円、通勤に一日往復2時間かかるとすれば5000円、実に月間10万円もの労働の持ち出しになっています。

これが在宅勤務になれば、随分と報われるのではないでしょうか?

 

でも、現実は相も変らぬラッシュアワー状態・・

ということでコロナ禍であっても都内の不動産と電車の需要は依然として手強いということ、東急の株主としてはとても安心しました(笑)

でも日本人って本当に我慢強いですね!

ボクの通勤体験

今日、JRで30数年前に勤めていた最初の会社の前を通りました。

あーこの電車で通勤していた時期もあったんだなぁと。

ボクの出勤パターンは、その年代によりさまざまでした。

20代 – 電車

大学を卒業して社会人になってからケニアの駐在を挟んでの6年間、ボクは会社の寮からの出社で、ラッシュアワーの電車通勤でした。

それが当たり前だと思っていましたし、昭和の時代はまだ日本の経済は右肩上がり、また今の様な貧富の差は拡大していない国民皆中流階級の状態で、多くのサラリーマンがモチベーションを高く維持しながらの通勤であったと思います。

30代~40代 – 徒歩

入社してからほぼ毎日、帰りは残業か麻雀のどちらかで、終電に飛び乗る日も多く、その車両の中では常に大勢の酒臭い酔っぱらいの人達と一緒でした。

そういうことで、30代独身の頃は寮を出て、会社へ徒歩10分のワンルームマンションに住んでいました。

30半ばで結婚してからは、流石に麻雀で遅くなることは無くなりましたが、徒歩での通勤が快適でしたので、その条件に見合う賃貸マンションに住んでいました。実際は徒歩で会社までは片道40分程かかりましたが、その頃から歩くという行為が全く苦痛ではなかったのです。

駐在時代 – 自動車

ケニヤ、マレーシア、シンガポールでの計7年間の駐在期間、会社の自動車での通勤でした。

ケニヤは交通インフラ上、そして治安の問題で自動車での移動が必須でしたし、マレーシアはクアラルンプールでは夜の会食、それ以外は地方の代理店、ユーザーへの出張営業の為、運転手をつけてもらっていました。

シンガポールは、国策として毎年新車の輸入台数を制限するクオータ制度を取っており、会社がボクの社有車のリースを月額30万円以上支払っていました。

シンガポールは交通インフラは日本以上の先進国であり、先ず電車が遅れることなどなかったので、会社の人事には「社有車の支給は不要なのでリースの半額(15万円)でもいいから通勤手当を貰えないか」とダメ元で交渉しましたが、却下されました(笑)

シンガポールでは日本の本社マネージメントとの確執等であまり良い思い出が無いのですが、こうやって振り返ってみると、現地会社の中では結構楽しくやってたんだなと改めて思いました。。

50歳から定年まで – 自動車/電車

55歳までは快適な自動車通勤でした。本社が神奈川に移転していたのですが、ボクの家からは多摩川を渡って20分程度の通勤。

所謂下りでしたので、渋滞もありませんでした。

これがシンガポールの駐在を挟んで、帰任後所謂役職定年で社有車を取り上げられてしまい(笑)本当に久しぶりの電車通勤となりました。流石に徒歩の距離ではなかったです。

最初のうちは何だか都落ちしたような気分で、ちらっと早期退職を考えたのもこの頃でした。でも電車でもやはり下りなので、満員電車での通勤ではなかったのが救いでした。

今となって考えてみると、定年までの3年間いろいろなものを失ってみて、結果的に定年生活への程良いクッションになったものと思いました。

 

こうやって文字にしてみると、通勤という行為は長いサラリーマン人生を振り返るにあたり、良く出来たミラーのようだなぁと思います。

今朝の電車の話に戻ると

私鉄に比べてJRはまだ空いていました。まだ立って新聞が読めるくらいのスペースの余裕があります。

でも新聞を読んでいる人はもうあまり見かけません。スマホでひたすらゲームやお気に入りブログなどを楽しんでいる人が多いかな?

実は今の時代、一部の労働者にとっては通勤は苦痛ではなく、むしろ束の間の憩いのひと時だったりして。

どうせコロナ禍でも毎朝定時に出社しないといけないということは、夜もしっかり残業しているのでは?何しろ今は飲み屋の深夜営業自粛だから。。

 

こうやって無責任な立場で人間観察を楽しんでいると、大崎駅の手前で電車が止まりました。

車内アナウンスで

「品川駅ホームの安全確認の為、一時停止を致します。」

そして暫くしてから

「危ないですから線路には降りないでください!」

皆さん我慢強いと思っていたけど、やはり短気な人もいるんだな(笑)

昭和の人間として、なんだかホッとしました。

それでは今週末はゆっくり休まれて、来週からまたお仕事頑張ってください!

 

Shanti Shanti! 素晴らしい1日を!

 

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