暮らすように過ごす

一か月間、毎日ポルトガル語で日記を書いた。

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7月XX日

今日は〇〇を食べました。とても美味しかったです!

その後でビリヤードをしに行きました。楽しかったです!

 

8月XX日

今日は△△を食べました。お腹が一杯です!

その後で映画を見に行きました。怖かったです!

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毎日こんなのばっかりだ。

しかも翌日毎回レベッカ先生に赤ペンで添削される。

 

 

絵が楽しい街。

 

 

 

 

 

 

 

 

ボクには小さい時から日記をつける習慣が無い。

定年退職してから日記代わりにこのブログを始めた。楽しい思い出資産を積み上げる為に。

日記の代わりだから嘘は書かない。

嘘は書かないというだけで、勿論書きたくないことは本当のことでも書かない。

 

今迄触れてこなかった息子とエトランゼになって一か月余り暮らすように過ごした。

 

「もう一回ブラジルにチャレンジしたいんだ」

今年の三月だ。

「今回はお父さんにも一緒に来て欲しいんだ。」

 

息子の状態を見ながらぎりぎりまで手配はしなかった。

正直な話、当日羽田空港で搭乗するまで(いやっ!搭乗しても)本当に行くことになるのか確信が持てなかった。

 

彼には前科があるのだ。

 

JAL が離陸して初めて「あーこれでもう二人とも逃げられないな」と思ったものだ。

 

 

今迄の5年間、自己満足を基本に機嫌良く暮らして来た。

今回の旅は少し違う。

自己満足ではない。

自己納得の為の旅だ。

 

 

息子は季節に拘わらず、いつでもどこでもジャージを履いている。

 

 

 

 

 

 

心配していたような事故も事件も起きず無事に帰ってこれたことに本当に感謝したい。

20代後半の息子と異国で暮らすように過ごした一か月間。

こんな贅沢な経験は普通したくても出来ないだろう。

帰ってきたからの感想だ。

 

息子はどうだろう?

 

 

さて、、帰国翌日に奥さんが二人のお疲れさん会をしてくれた。

本当に疲れたよ。

 

 

 

 

 

馬車道のお寿司屋さん。夜は2万円からだけど予約はなかなかとれないらしい。

昼は大将の倅が修行の為に握るので10貫+小鉢5皿が4千円足らず。

昼はそもそも予約を取らないので1時間前から並んで至福の時間を楽しんだ。

この日は何かの理由で大将が握ってくれたのだ。

すると息子が・・

「日本って本当に良い国だなぁ・・」

そうか、息子よ。そこに気が付いただけでも今回旅に出た甲斐があったというものだ。

 

この日は元町が地元の息子の彼女も一緒だった。

前日も空港まで迎えに来てくれた、石川ひとみ似のよい子だ。

彼女と共に寿司屋の二次会としてレトロな洋菓子屋さんへ。

 

 

 

「いつもジャージ履いてる男ってどうなの?」

彼女は笑って答える。

「仕方ないですよ。もう体の一部ですから・・」

 

Chao Chao! 素晴らしい1日を!

 

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