夏の軽井沢

雲場池へ向かう水流。 ここにも遊歩道はあるが、出会う人はあまりいない。

小さい頃は滞在した記憶がほとんどない軽井沢ですが、特にこの20年くらいは家族でよく来るようになりました。

どの季節も好きで、本当に毎月のように来ていました。

その中では「高いは混むは」で比較的に避けていた夏の季節ではありましたが、コロナ禍での自粛生活もそろそろ息抜きしたい(=軽井沢にいきたい!)ということでこのタイミングでのお出かけとなりました。

我が家が軽井沢が好きな理由

家族がそれぞれ好きなことに没頭出来る

奥さんが好きなこと

アウトレットでのショッピングが好きで、以前は良く服を買っていたのですが、今はいくつものブランドショップで実際に物を見てアウトレット価格をチェックの上、帰宅後ネットでより安く注文を入れることも多々。

何しろウインドウショッピングだけでもストレス発散出来るのが女性の強み。ボクも現役時代は良くスーツをここで買いましたが、2-3時間かけて気に入ったものが見つからなかった時ば逆にストレスを積み増していました。

女性の方が一般的に長寿な理由はいくつもありますが、この事象一つとってみても納得です。

息子が好きなこと

中学生くらいまでは、アウトレット内にあったゲームセンターで太鼓を叩き、その後ボクとボーリングをするパターンでしたが、今は家内とショッピングしたり、敷地内でワンコと遊んだりと、大学生なのに無邪気なものです。

ボクが好きなこと

カートを引いて一人ゴルフもしますが、基本は1日中散歩をしています。旧軽井沢の別荘地帯を中心に3ルートの散歩コースを持っていますが、通常は2泊3日で計10万歩を目安にしています。

散歩は日頃からボクの中でお金のかからない最大の趣味ですが、特に軽井沢の別荘地帯は、非常にポジティブな”気”を身体に入れることが出来るのです。

普段より質素な生活を心掛け、堅実に次の代へ資産と教育を受け継いでいく裕福層の人々が仕事を離れ、家族とひと時を過ごす場所。

「この様な成功者にいつかなりたいなぁ」と思いながらこの十数年この界隈をうろうろと歩いていました(結局願いは叶わなかったけどね)。

食事のバラエティとクオリティが高い

こうやって家族3人が思い思い好きなことをして、昼ご飯と夜ご飯の時に集まってその日あったことを報告しますが、軽井沢以外のトピックも良く話します。

個人的には軽井沢での食事は、味も価格もお店の洗練具合も東京のそれと同等レベルだと思います。圧倒的に違うのは、リゾート地特有のまったり感。

ボクたちの軽井沢での食事は、和食、イタリアン、たまにフレンチや軽食といったパターンですが、未訪問で評判の良い店はいくらでもあるので、将来奥さんも退職して滞在期間が長くとれるようになったら、少しずつトライしていきたいと思います。

六本木の支店も数回行きましたが、 やはりここ。 リゾートと蕎麦がこんなにマッチするなんて。

今後はワンコ同伴でのテラス席利用が増えるかも・軽井沢はワンコ天国。

夏の軽井沢(とナイロビ)

軽井沢と言えば避暑地のイメージが強いですね。

実際に全くタイプは違うものの、京都はオールシーズンにわたり集客力のあるリゾートですが、軽井沢は圧倒的に夏にピークを迎えます。秋の紅葉も素晴らしいし、全国有数の極寒地となる冬場も凛として身体中の全細胞が生きていることを実感出来ますが、それでもやはり夏。

近年温暖化のせいか、当地の夏も以前ほど「涼しい」と感じることは減ってきましたが、今回の最高温度は初日は28度、翌日は31度と東京と比し5度低く、空気も乾燥していたので、ボクも問題なく両日とも3万歩オーバーの散歩を楽しむことが出来ました。

 

まだボクが20代後半のこと、ケニヤのナイロビに2年間ほどアパートを借りて住んでいたことがあります。

実はその1年前に国内の旅先で交通事故に合い、首の骨を折って地方の病院に3か月入院していました。

幸運なことに後遺症も無く退院することが出来たのですが、社会復帰してから3か月後のアフリカ駐在の辞令でした。

その時主治医の方が言われた一言。

「大丈夫だよ。ナイロビは夏の軽井沢って言われているから、日本の梅雨時より首にやさしいよ。」

当時日本で手に入る数少ないアフリカのガイドブック「地球の歩き方」を早速買って読んでみると・・

「ナイロビはスワヒリ語で冷たい水という意味。赤道直下であるが、標高1000メートル以上のナイロビはまさに夏の軽井沢で、春には紫のジャカランダが咲き誇り・・・」の一文が。

実際行ってみて、社有車として渡された現地国産車(笑)もエアコンレスで(爆笑)何の問題もなく。

この車で週末良く行ったナイロビ国立公園。ナイロビ市内と国際空港を通す道がこの公園の真ん中を横切っています。

インパラやトムソンガゼールの群れの中に駐車し、エアコンが無いので窓を開けてナイロビの風を車内に流して数時間ぼーっとしていたものです。当時はスマホもPCも無い古き良き時代でした。

また、酷暑多湿のアフリカ他国の出張からケニヤに戻ってくる度に感じる安堵の気持ちは、このナイロビの風によることが大きかったです。

その後ボクの30年超にわたるサラリーマン人生にあらゆる意味で多大な影響を与えたケニヤでの2年間でしたが、ボクにとっての夏の軽井沢は、実は30数年前の代えがたい経験のノスタルジーがベースになっています。

今年に入って見つけた離山ふもとから旧軽銀座までを 抜ける道。めったに人に会うことはない。

右側に延々と続く木の杭の壁。 どんな人物がここで過ごしているのだろうか。

それではShanti Shanti!  素晴らしい1日を!

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