レベッカ先生。
自称「永遠の19歳」とうそぶく典型的なブラジルのボニータ娘。
顔出しOKの陽気な彼女だが、甘い物食べ過ぎで現在歯の治療中(笑)。
ポルトガル語の教員資格を保有。現在州立大学でクラスも持っている才女だ。
今回、息子(と、オマケのボク)に毎日2~3時間ポルトガル語の個人レッスンを頼んだ。
「折角ブラジルに来たのだから」と、息子に大学キャンバスでの現地大学生との交流や地域図書館の子供向け語りべに参加させてくれたりした。
「こんなのも参加してみたら?」
集まった15人はボクたち二人を除いて皆ブラジル人観光客。案内は全てポルトガル語だけど、まぁ語学勉強という建付けでブラジルに来た訳だから文句は無い。
時に超大胆、でも普段は超慎重な息子もこの無料ツアーで安心して夜の旧市街を散策することが出来たのも良い思い出だ。
帰りにドイツレストランに寄り、現役時代を懐かしむ。
ブラジルは日本の23倍もの広大な国土を持ち人種の坩堝であるが、ドイツ・イタリアからの移民も多い。
レベッカにもドイツ人の血が4分の1入っている。
息子と1か月間過ごしたアパートの小さな部屋。
右奥がボクの寝室。左手前のリビングはこの後息子の万年ソファーベッドとなった。
この小さなダイニングキッチンでボクは毎朝ブラジルチョコレートをお供にブラジルコーヒーを飲み、息子は市場で買ってきたフルーツを存分に食べる・・という憧れをを持ってアパート住まいを始めたが、どこから湧いてくるのか無数のアリ攻撃を受けて断念。
結局この部屋では1か月間ミネラルウォーターしか持ち込まなかった。
ここブラジルでは皆ポルトガル語しか話さない。
大学まで無償教育だけど、第二外国語の授業は有料らしい。
ブラジルは大国なので北米の言う事も聞かないし、中南米近隣諸国と積極的に付き合う気も無い(らしい)。
だから英語は勿論スペイン語すら不要・・なんだそうだ。
さらにはポルトガル語自体もブラジルのそれはポルトガル本国と同じではない。
ブラジルの気持ちとしては、大航海時代の栄光を引きずっているだけのポルトガルなど今ではEUの中の田舎者という格下の扱いだ。
実際息子は大学のポルトガル学科ではブラジルのポルトガル語を勉強している。
このアパートではアリ問題以外にも数多くのトラブルを抱えることになったが、そういうことでレセプションもポルトガル語しか話さないから、問題解決には時間がかかる。
まぁ温かいシャワーがちゃんと出たし、トイレも(一回しか)詰まらなかったから良しとしよう。
ここは日本ではないのだ。
それにしても本当に語学勉強には適した国だ。
アパートの受付の他にも、どう見ても海外観光客を相手にしているであろう観光案内所、旅行代理店、お土産物屋、両替屋・・・どこも驚くほど英語が通じない。
息子は流石にボクより話せるので、ここに来て人生初めて彼を頼もしいと思った日々だった。
こんな街にもハードロックカフェがある。
キッス、U2、ディープパープル・・往年のブリティッシュ&アメリカンロックを懐かしむ場所・・ここでも英語が通じない(笑)。
さて・・ブラジル最後の週に市場に出向く。
息子が八百屋さんと交渉してナイフを借りて来た。
勿論ブラジルの豊かなフルーツたちを抱えて。
マンゴーには必ずライムをかける・・ボク流だ。
ザクロの様なフルーツ。美味しい。
ボクも市場の横のコーヒー専門店で念願の・・
そしてブラジル最後の夕方。
息子が現地大学生と会っている間に、小腹がすいたボクは一人街角のデリでブラジル風サモサを食べる。
頑張ってポル語で注文する。
ちゃんと思っていた食べ物が出て来てほっとするが、あれ?ミルク入りコーヒーを頼んだつもりがグアラナジュース!?違い過ぎるだろ(笑)。
目の前の広場では物乞いが子犬を抱えて佇む。
身なりの良いおばさんや若者がにこやかに彼と二言三言会話して施しを与えて行く。子犬の話だろうか・・そこには貧富格差の悲惨さは見えない。表面的には。
ボクの財布はコインで一杯だった。
何処へ行ってもちゃんと値段が聞き取れず、勢いお釣りの小銭が増える。これはアルアルだろう(笑)。
小腹を満たし、コインを握りしめて店を出た。
頑張ってボクもにこやかに話しかけた。ポルトガル語で。
「今日は良い天気ですね。子犬も気持ち良さそうですね。」
たくさんの小銭を前に彼は上機嫌でまくし立てて来る。
多分犬の話だろうけど、上手く聞き取れない。
「さようなら(良い晩を)」
最後まで学習の成果は確認出来なかったけど、彼のくしゃくしゃな笑顔を見て、ささやかな(本当にささやかだけど)達成感を胸に抱いて息子を迎えに大学のキャンパスに向かった。
Chao Chao! 素晴らしい1日を!