それぞれの老い

 

 

 

 

寿司と同様に普段はフレンチを東京で食べる機会は少ない。

よく考えてみればそりゃそうだ。都内で犬同伴を許可してくれるフレンチレストランはイメージ出来ない。

これが旅先だとドッグフレンドリーで、かつとても美味しい店がいくつかある。

 

今回はお義母さんの誕生日に渋谷のフレンチにランチで行ってみた。ボーロは留守番だ。

ボクは初めてのレストランだけど奥さんのお薦めだから安心だ。

 

この日89歳になられたお義母さんは(ボクより早く)コース料理をペロっと食べてくれた。

食べ物の好き嫌いははっきりされているお義母さんだけど、この歳になっても食の楽しみを持てるのは素晴らしい。

膝が痛いと言いながらまだ奥さんと一緒なら旅行を楽しむことも出来るお義母さんは、まさにボクが将来そうありたいと思う老齢者像のひとつだ。

 

ボラ活動で定期的に訪問している特別養護老人ホームでボクがお会いする機会があるのは低層階で暮らす比較的まだ体の自由がきく利用者さん達だ。

お歳はお義母さんより若い方も多いが、そこまで活発に動くことは皆無だ。ロビーに出てきても他の利用者さんとお話するわけでもなく、テレビを見たり新聞を読んだりしている。

でも総じて皆さん穏やかな表情をされている。今までどのような人生を歩まれてきたのかは知る由もないけど、今のこの年相応(?)の静かで落ち着いた生活に満足されているようにも見える。

競争が激しいこの老人ホームに入所された段階で、既に相当恵まれているのかもしれない。

 

一方で91歳のお袋は自宅で一人で暮らしている。

歩くことはかろうじて可能だが、立ち上がるまでが大変なようだ。

もう火を使うのは危険なので、食べ物は近所に住むボクと姉で役割分担して届けている。

父の老々介護が長かったので、今はもう好きにさせて欲しいと。

完全に動けなくなるまでは、住み慣れた自分の家で庭の緑を見ながら一人で過ごすのが希望だ。

家の中でつまずいたりしたらもうアウトだが、本人はそれで本望だとしているので、ボクも姉も母の意向を尊重している。

これはこれで参考に値する老後の身の振り方だと思う。

 

このようにボクの身近にいる人生終盤に差し掛かる人々は、皆それぞれの幸せを胸に納めて過ごしているように見える。

ボクも4年前に親父を95歳で失ってから少しずつ人生の終わり方をイメージしようと努めている。

100歳まで生きるとして、極力健康寿命を延伸させることに留意する。

予防医療(血液検査・がん検診・歯科検診)、食べ物(タンパク質・食物繊維)、下半身の筋肉維持(自重運動・外出)そしていずれAI技術の発展に伴い自力生活の為の補助環境を準備出来ればと思っている。

でもその前提として(いつも言っていることだけど)、心の底から長生きをしたいと思える日々の営みとその思い出のストックを増やして最期を迎えたいものだ。

 

それではShanti Shanti! 素晴らしい1日を!

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