定年退職して3年

先日は横スタまで行ってまさかの当日券売り切れを喰らい、今回は事前にネット予約して神宮へ。

奇跡の10連勝の後はメッキが剥がれてきたカープだが、アウェーながらレフトスタンドは真っ赤だ。

この日も劣勢。4回を終わって0-8。

5回にカープが1点を返すも裏にスワローズに2点追加され、気持ちが折れた。

5回裏を終わって恒例の打ち上げ花火を見納めて、球場を後にした。

 

帰りは渋谷まで30分程歩く。

この10年で宮下公園側も様変わりした。今ではテナントビルの屋上が空中公園となって若者たちのボード遊びの人気スポットになっている。

ハイナンチキンライス(海南鶏飯)

このビルの中で前から気になっていたハイナンチキンライス専門店で夜ご飯を食べる。

8年前にシンガポールに駐在していた時のボクの日常食だ。

個人的にはこの美食の国でボクが一番好きな食べ物だった。

 

シンガポールで一番人気の鶏飯大衆食堂。ちょっと街の外れにあるけど、ボクのサービスアパートメントから歩いて1分の場所にある。

いや、正確に言えば、このロケーションにあるサービスアパートメントをボクが選んだのだ。

茹で鶏とその茹で汁で炊いたライス、これに濃口しょうゆ、チリソース、しょうが汁を好みで混ぜて食す。これにタイガービールが絶妙に合う。

大げさではなく、シンガポールで唯一ボクが心休められたひと時だ。

 

シンガポール駐在は、ボクの長年の海外営業の集大成(のはずだった)。

我社最大のドル箱市場をわざわざ隣国のシンガポールに会社を立ち上げて、そこから管理していた。

極めて複雑で政治色の強いオペレーションだったので、任期途中で帰任命令が出た時は誰に刺されたのか分からなかった。正直、今でも分からない。

 

日本に戻って最初の半年は、大した仕事はしなかった。

中国のプロジェクトをたたむのに、こちらからは積極的に関与せず現地パートナーが先にミスをするのをただ待つ仕事だった。

それでも給与ポジションも変わらなかったから、仕事の責任見合いでは時給4~5万円くらい貰っている感じだった。ボクのサラリーマン人生でぶっちぎりで高給取りの時期だった(笑)。

毎朝1-2時間で一日の仕事を終えると昼休みは2~3時間とり、小さな無料動物園が併設している公園を散歩したりした。午後はリタイアブログを読んだり社内で雇用延長を選んだ人達と話をしたりいた。

まさにちょっと前まで”妖精さん”と呼ばれた人たちだ。でも社有車で通勤していた妖精さんはそうはいなかっただろう。

それでも定年退職までまだ3年以上あったので、こんな美味しい時期が続くとは考えられず早期退職も考えた。休みを取って2週間ほどインドに行った。就職する前、結婚する前・・大きなイベント前には何故かいつもインドだ。

 

結局、決定的な判断基準も設定出来ず無駄に時間は流れ、「まぁここまでそれなりに頑張って来たんだ。折角だから定年くらいまでは勤めあげよう。」と・・

海外営業から国内営業企画に移って責任範囲は随分縮小した割にペイは落ちず、そこでは今でも付き合っている新しい仲間たちとも出会えた。

結果オーライだ。

定年退職して3年が経って

定年退職して1年(祝)

定年退職して2年

 

会社を辞めて1年が過ぎ2年が過ぎ、都度そこでの思いはブログに書いてきたけど、3年経ったことは昨日まで忘れていた。

もう退職して随分経ったなぁという感想で、ジャネーの法則的にはこれまで楽しく暮らして来れたのだろう。

嫌なことは極力やらず自己満足を軸に行動することで、ここ3年間一貫してきた。

でも、この1年間少しだけ意識しているのは「動ける時間は有限だ」と言う事。

“DIE WITH ZERO” を読んで特にそう感じるようになった。

それは単にお金の使い方だけでは無い。

お金について大きな心配事が無ければ、好きな事をし、興味がある事を身軽にトライ出来る自由があるのは勿論だが、同時に見返りを期待しないボランティア活動などのハードルも下がるのが良いところだ。

その意味でも、60歳まで稼いできたのも結果的に正解だった。

旅先でのオンライン授業の準備なども満足感の高い時間の過ごし方だ。オーストラリアにいる小学生への日本語指導。これも新たな挑戦だ。

 

”定年退職して〇〇年”というブログを書くのは今回が最後だろう。

たまに現役時代に思いを馳せるのも楽しい作業だろうが、現役時代と今を比べることにはもう大きな価値を感じない。

それより前の年と比べてひとつでも多く新しい経験が出来たことを確認したいものだ(それこそ自己満足で良いので笑笑)。

 

それではShanti Shanti! 素晴らしい1日を!

 

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